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『NEWSを疑え!』第380号(2015年3月19日号)

『NEWSを疑え!』第380号(2015年3月19日号)
◎ストラテジック・アイ(Strategic Eye)
◇◆世界を動かすアンゲラとウラジーミル
◆キーワードは「東ドイツ」
◆メルケルは中東にも目配り
◆プーチンもメルケルを通じて発信
◎セキュリティ・アイ(Security Eye)
・素っ裸だった?ヒラリー・クリントンのメール
(静岡県立大学グローバル地域センター特任助教・西恭之)
◎ミリタリー・アイ(Military Eye)
・海洋戦略を公表した米国だが…(西恭之)
◎編集後記
・日本人には、何年たってもできない

◎編集後記

・日本人には、何年たってもできない

 こんな記事を、3月6日付けの朝日新聞横浜版に見つけました。

(かながわの戦後70年 第2部 基地県の源流:6)日の丸の翼、無残な墓場/神奈川県)

軍用機が無残ながれきと化し、山積みされている。

「『奇跡だ』。東京都小金井市の東野良彦さん(67)は3年前、このをネット上で見つけて驚いた。70年前の写真150点は、『零戦』『雷電』『飛燕(ひ・えん)』『疾風』などの日本軍機の末路を、厚木基地を中心に各地でとらえている。

 占領された直後の厚木基地の様子を米兵が撮影し、40年以上前に米国で写真集にまとめていた。(中略)

 著者は米軍の通信将校だった故ジェイムズ・ギャラガー氏。1945年8月、マッカーサーが降り立つ数日前に厚木基地へ入った。写真が趣味で、業務が落ち着いた翌月から約60日間、私用カメラで撮影した。厚木では数百機が占領軍に使用不能にされ、到着する米軍機のために重機で数カ所に押し込められた。

 ギャラガー氏は1カ月前の敵を冷静に分析した。本文で、墓場のような情景を『偉大な日本の航空戦力の終焉(しゅう・えん)』と嘆きつつ、機種ごとに戦闘体験を重ねて性能を検討。『世界最高の高高度偵察機』などとメーカーや設計者を称賛している。

 その一方で、日本の軍事条件を検証。例えば飛行場の造成能力については『米は何日で仕上げるか問題にしたが、日本は何週間、何カ月単位だった』と設備や人員が不足していたことを指摘した。『どれだけの間違いが生じたか』と悲しみ、特攻に使われた機体を論じる中で、戦争指導者の問題にも言及している。(後略)」

 色々なことを考えさせてくれる記事です。ギャラガー氏の著書の日本語訳『ゼロの残照 大日本帝国陸海軍機の最期』(イカロス出版)は昨年発売されました。

 ここで取り上げたいのは、新聞記事の「例えば飛行場の造成能力については『米は何日で仕上げるか問題にしたが、日本は何週間、何カ月単位だった』」という一節です。

 記事によれば、ギャラガー氏は「設備や人員が不足していたことを指摘」しているとのことですが、それ以前に問われるのは日本側の発想や意志の問題だと思います。

 一例を挙げておきましょう。

 沖縄県の米海兵隊キャンプ・ハンセン内には、海兵隊の建物群が建っている下に長さ1600メートルの滑走路が埋まっています。

 正式名称は「チム飛行場」。沖縄戦の終結直前、米軍は軍事施設も何もない原野と山林を絨毯爆撃し、そこにブルドーザーを陸揚げして整地、スチールマット(鉄板)を敷いて日本本土爆撃の部隊を発進させたのです。

 完成までわずか10日。このように、必要なことを適切なタイミングと期間でやってのけるのが米国的な発想で、それが日本軍に欠けていたことは言うまでもありません。

 そして、同じことは現代の日本でも繰り返されています。

 住宅密集地の中にある米海兵隊普天間飛行場について、墜落事故が起きたら日米同盟に亀裂が入るほどの大惨事となる可能性を憂慮し、日米両政府が返還に合意したのが1996年4月16日のことです。

 それから19年。幸い、重大事故は起きなかったとはいうものの普天間飛行場は1センチも動かず、周辺住民は危険にさらされたままです。

 これまでにも紹介してきましたが、私は返還合意に関わった当事者の一人です。その立場から、普天間飛行場の危険の除去を可及的速やかに実行に移すよう、時の政権に提案してきました。

 私の提案は、当時、普天間飛行場に常駐していた50機以下のヘリについて、キャンプ・シュワブ内に仮の移駐先を建設して収容、KC130空中給油機など固定翼機は日米合意通りに山口県岩国基地に移駐させ、2日ほどで普天間飛行場を閉鎖してしまおうというものでした。

 建設にあたるのは福岡県小郡に駐屯する陸上自衛隊第5施設団を主力とする施設科(工兵)部隊。海上自衛隊のおおすみ型輸送艦からエアクッション輸送艇(LCAC)2隻で直接、キャンプ・シュワブに土木機材を揚陸し、48時間の突貫工事で完成させようというものです。

 2日間が無理でも、1週間以内には、それこそ2000メートル滑走路を持つ仮の移駐先が完成するのは間違いありません。

 これはまさに戦場の発想ですが、現に陸上自衛隊でも一定規模のヘリ部隊を展開させるために、2日ほどでヘリベースを完成させる訓練を重ねているのです。それができないようでは、日本国と国民を守ることなどできないからです。陸上幕僚監部も、有事のことを考えれば十分に可能だという見解でした。

 私が「2日」あるいは「1週間」と期限を切ったのは、それくらいスピーディーに普天間を閉鎖し、危険の除去を鮮やかにやってのければ、日本政府の本気度について沖縄県民の信頼が寄せられ、普天間代替飛行場の県内移設についても半数以上の沖縄県民が賛成すると踏んだからです。

 ところが、私の提案を聞いた官僚たちから、いかにも日本的なつぶやきが聞こえてきたのです。

「小川さんは何を言っているんだ。いまの沖縄は戦場じゃないんだよ

 私は、たまらず怒鳴りました。

普天間の周辺住民は、まさに戦場と同じ環境で暮らしている。だからこそ、日米両政府は返還に合意し、危険の除去が最優先事項として語られているのに、君たちこそ何を考えているのか。やる気はあるのか!」

 反論でもしてくれれば見所があるのですが、返ってきたのは沈黙だけでした。

 安倍首相にお願いしたいのは、集団的自衛権の限定行使容認で示した政治家としてのリーダーシップを、普天間飛行場の危険除去と移設についても発揮していただきたいということです。

 私の乏しい経験からいえば、米国側は日本政府以上に沖縄県民の気持ちを大切にしようとしています。それを前提に、普天間飛行場の移設先についても次の条件が満たされれば良いという立場です。

1)海兵隊の作戦所要(オペレーショナル・リクワイアメント)が満たされていること、2)短期間で安上がりに基地が建設され、少しでも海兵隊のグアム移転関係を資金的に支援できること、3)環境問題を引き起こすことによって、反対運動を激化させたり、膠着状態に陥らないこと。

 むろん、これは辺野古の埋め立て案ではありません。

(小川和久)