- 『NEWSを疑え!』第1018号(2022年1月6日号)
- ◎ストラテジック・アイ(Strategic Eye)
◇◆中国が目指す「鄭和の夢」
◆『海のシルクロード』で版図拡大
◆大航海は30年間近く続いた
◆今日の南シナ海支配の原風景
◎セキュリティ・アイ(Security Eye)
・10日以上のオミクロン隔離は不要とする日本の疫学調査
(静岡県立大学グローバル地域センター特任准教授・西恭之)
◎ミリタリー・アイ(Military Eye)
・これが戦争と戦闘の違いだ(西恭之)
◎編集後記
・ミサイル発射の第一報は海上保安庁
◇◆中国が目指す「鄭和の夢」
Q:メルマガ2021年8月19日号「誰が、いつ、世界のどこを〝発見〟したか」は、大航海時代にヨーロッパから海へ乗り出した航海者や探検者たちの話でした。そのとき、もっと前に中国の鄭和が指揮した艦隊がアラビア半島やアフリカ東海岸まで行っていたが、これは改めて話そうということでした。今回のテーマは、鄭和の南海遠征でお願いします。
小川:「あとで詳しく述べるように、中国・明の鄭和は1405~33年までに7回の大航海を率いました。『鄭和の西洋下り』はインド西南岸のコジコーデ(旧英語名カリカット。インド東部のカルカッタ[現コルカタ]とは異なるのでご注意)やペルシャ湾のホルムズが最終地でしたが、分遣隊はアフリカ東岸や紅海沿岸まで達しています」
「日本にも海兵隊があったという回で、紀元前数世紀ころの地中海ではガレー船同士の海戦があったとお話ししましたが、船の歴史は、さらにケタが二つ違う大昔までさかのぼります。数万年前には木をくりぬいた丸木舟や木をたばねた筏《いかだ》が存在し、大きな木が取れない場所では竹舟やアシ舟、動物の皮を縫って浮き袋にした筏も造られました。木にまたがったり、なにかを乗せたりして川を渡った人は、もっと大昔からいたでしょう」
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(小川和久)