- 『NEWSを疑え!』第87号(2012年2月6日特別号)
- ◎セキュリティ・アイ:「資源の呪縛」──パプアニューギニアの場合(主任研究員・西恭之)
◎ミリタリー・アイ:イスラエルのイラン攻撃「危機の演出」、その効果は(主任研究員・西恭之)
◎編集後記:16年前に言ったでしょ。沖縄海兵隊は「即応後方配備」だと
セキュリティ・アイ(Security Eye):
「資源の呪縛」──パプアニューギニアの場合(主任研究員・西恭之)
天然資源に恵まれた南西太平洋のパプアニューギニアだが、昨年12月から「2人の首相」が互いに正統性を主張する異常事態に陥り、地域の不安定要因となっていたことは、意外に知られていない。
太平洋戦争をはさんで豪州が統治していたパプアニューギニアは、日本軍占領下で育ったソマレ初代首相の下で1975年に独立を果たした。いったん政権の座から遠ざかっていたソマレ氏は、2002年に首相に復帰したが、75歳になった昨年4月、心臓手術のためシンガポールへ出国した。ソマレ氏の家族が辞任を発表した8月、議会はオニール公共事業大臣を首相に選出した。
ところが12月12日になって、パプアニューギニア最高裁はオニール首相の選出手続きを違憲として、ソマレ氏を復職させる判決を下した。これを受けて、元首のエリザベス英女王を代表するオギオ総督は、ソマレ内閣の就任宣誓式を行なった(注・パプアニューギニアは英連邦王国)。
しかし、議会の過半数の支持を受けるオニール首相も正当性を強く主張し、これを受けたオギオ総督は20日になってオニール氏を首相として認めることになり、公務員・警察・軍・カトリック教会の支持も得たことで、オニール氏は実権を掌握した。
孤立したソマレ前首相は1月26日、軍事クーデターに打って出た。ソマレ派の兵士約30人はアグウィ国防軍司令官を軟禁し、ソマレ氏が国防軍司令官に任命したササ退役大佐は、「1週間以内にソマレ氏が首相に復帰できなければ、憲法を護持するために必要なあらゆる措置を取る」と声明した。
結局、この軍事クーデターは失敗に終わった。軍人も国民も呼応せず、アグウィ司令官はその日のうちに解放された。ササ退役大佐は28日に逮捕され、反乱兵は30日に投降した。おりしも、内陸部の南ハイランド州では25日に未曽有の山崩れ被害が発生、死者・行方不明者が60人以上に上り、政府は対応を迫られていた。その最中に反乱を起こしたことで、ソマレ氏の身勝手さだけが際立つこととなった。
と言っても、パプアニューギニア国民が諸手を上げてオニール首相を支持しているわけではない。総選挙が今年6月までに予定されているのに、暫定的な連立を模索することもなく、国民不在の全面対決を続けた政治への不満は根強い。
山崩れ被害に続いて、2月2日にはニューブリテン島からニューギニア本土へ向かっていたフェリー「ラバウル・クイーン」が転覆し、4日現在で4人の遺体が収容され、110人以上が行方不明となっている。
その救助活動のさなか、最高裁のインジア長官による会計上の不正行為を捜査するためとして、オニール首相は同長官の停職を発表した。
先に述べたように、最高裁は昨年12月、ソマレ氏を首相に復職させる判決を下し、今もオニール氏を首相と認めていない。それもあって、パプアニューギニアでも携帯電話とともに普及しているツイッターとFacebookでは、最高裁長官の停職のタイミングに関して報復と見る向きも多く、オニール首相への批判が飛び交っている。