- 『NEWSを疑え!』第102号(2012年3月29日号)
- ◎小川和久の少年自衛官時代
・15歳で生徒教育隊の門をくぐる
・8時間授業に自習3時間。日曜の外出が楽しみだった
・「その道の第一人者たれ」
◎セキュリティ・アイ:世界の情報機関は「イランは核開発を中断」と見ている(主任研究員・西恭之)
◎ミリタリー・アイ:5月末、米海軍の掃海艦はペルシャ湾に集結する(主任研究員・西恭之)
◎今週の言葉:キューバ危機
◎編集後記:やればできるじゃん!
ストラテジック・アイ(Strategic Eye):
◇◆小川和久の少年自衛官時代◆◇
国際変動研究所理事長 軍事アナリスト 小川和久
Q:小川さんと一緒に本をつくったり、メルマガの聞き手を務めたりしていることがわかると、「小川さんって、自衛隊出身なんですか?」と、ちょっと意外だったという調子で聞かれることが少なくありません。とくにメディア関係者は、小川さんが自衛隊で何をしていたかに興味があるらしく、少年自衛官出身と教えると「(防衛庁の)官僚出身かと思っていた」という人もいたりします。イラン核開発、北朝鮮ミサイル、原発と危機管理、首都直下地震と自衛隊など、聞きたいことは沢山ありますが、たまにはこのメルマガで、小川さんはいつごろ、なぜ自衛隊に入り、どんな経験をし、どんなことを考えていたのか、というテーマを取り上げるのも、悪くなさそうです。そこで今回は「少年自衛官・小川和久の青春」と題して”ここだけの話“を聞かせてください。
小川:「わかりました。たしかに『小川和久は、なんで自衛隊に行ったのだろう』といった声が、けっこうあるようです。このメルマガはちょうど1周年になりましたから、これまで私が生きてきた道筋について、何回かに分けて語らせていただきましょう。隠したことは一度もありませんが、実は、私はやや不純な動機不純で自衛隊の学校に進みました。そのあと、これまた動機不純で同志社大学神学部に入学しました。大学時代の話は別の機会として、今回は私の少年自衛官時代についてお話しします」
「熊本県八代市の中学3年生だった私は、1960(昭和35)年12月4日に少年自衛官の1次試験を受けました。正式には自衛隊生徒と言い、帝国陸軍幼年学校の『陸軍生徒』を引き継いだものでもあります。陸海空の自衛隊に制度が設けられていました。翌年の1月半ばにあった2次試験も受けて合格しました。と言っても、私は最初から少年自衛官になろうと思っていたわけではないのです」